🤴 イワンのばか
2023/12/18
大学でロシア文学科にいたとき、学生はドストエフスキーを専攻する者が多く、 トルストイを専攻した私は希少な存在でした。 さらに、「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」は評価されていても、 「イワンのばか」をはじめとする民話は ほとんど文学として取り上げられることはありませんでした。 当の本人が自分の最高の文学だと言っているにもかかわらず……。
「イワンのばか」は3人兄弟の末っ子であるイワンが、 軍人や商人になって、悪魔に滅ぼされた兄たちを、 その類まれな純粋さと、大地に根の生えたような正直さとで救い、 悪魔をこらしめる話です。
大正のヒューマニズムの時代には大いにはやったが、 今はもうすたれたとする見方があるようですが、果たしてそうでしょうか? 現在も戦争は絶えないし、GAFAは肥大化し貧富の差は広がるばかり……、 トルストイの警告は今も当時と全く変わりません。
一方、「戦争と平和」で描いたロシアの正当性というものは、 プーチンの戦争によって大きな疑問符が付され、 「アンナ・カレーニナ」の不倫問題も、 今や全くありふれた風景になってしまっています。 トルストイのいった通り、民話のほうがより今日的なテーマとなっているのです。
なぜかといえば、作者はシクロフスキーのいう異化の視点に立ち、 人間社会の現象をその根源に立ち返って見直す姿勢を貫きました。 彼によれば、キリスト教徒を標榜しながら、 全て「右の頬を打たれれば左の頬を向けよ」というキリストの言葉を無視している 人々の態度にあります。
「火をそのままにしておくと消せなくなる」、 この民話は隣家との何気ない紛争が、大火事に発展してしまう作品で、 その様子は今のイスラエル・ハマス紛争そっくりです。 現代人は宗教を捨てて科学へ向かっているようですが、 科学にはこうした人類の問題を解決することはできそうもありません。
トルストイはキリスト教を中心とした信仰をよりどころにしましたが、 それは盲信ではなく、理神論にもとずいた信仰で、 しばしば善美ということを言っています。 仏教にも傾倒し、日記や宗教関係の著述でしばしば言及しています。 利害や美醜といった、対立に至る指標をもとにするのではなく、 皆が共有できる価値の上で人間的に共闘する。 そういう視点で、人間社会の問題をもう一度見直すこと、 それがトルストイの言わんとしていたことではないでしょうか。
そうだとすれば、トルストイは全く古びてなどいないと思えます。
※冒頭の写真はイワンのばか (岩波少年文庫)の表紙です。
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